チカランで生きる

インドネシアのチカランに住んで10年が過ぎました。生活のこと、趣味のランニングについて綴って行こうと思います。

現地採用という働き方。

僕はかれこれ10年以上インドネシアにいる訳ですが、その大半の期間、日系企業で現地採用として勤務しています。

 

インドネシアで、現地採用として生計を立てて行こうと考えたのは、丁度10年ほど前の事でした🤔

 

当時僕は某日系企業でインドネシア駐在員をしていましたが、日本への帰任が見え始めたのを機に、働き方の模索を始めました。

 

当時考えたのは、自分がどこで生きていきたいのかという事でした。勿論、日本への帰国も選択肢の一つでしたが、結果的にはそれを選びませんでした。

 

理由は幾つかありましたが、内需型企業という事もあってか、日本で勤務していた頃は閉塞感が強く、仕事と将来に対して漠然とした不安を持っていました。

 

それに比べて、インドネシアで働くのはシンプルに面白いと感じていました。今と比べても当時のインドネシアは未開発で、不便な事もたくさんありました。ただそこには、日本で感じていたような息苦しさはなく、のびのびと生きていける環境がありました。

 

今にして思うと、それだけで移住って考えなしだな⁉️∑(゚Д゚)と思うのですが、当時のこの気持ちが、インドネシアに残るという判断を後押しした大きな要素であったように思います。正直まぁ、勢いでした。

 

さてインドネシアに住みたい、働きたいと思っても、駐在員の仕事はそう簡単に見つかる訳でもなく、仮に見つかっても、いつ赴任出来るのかは不確実で、当然の事として任期もあります(-᷅_-᷄๑)

 
そこで、当時20代後半だった僕は、現地採用という働き方を検討するようになりました。というよりも、他にはあまり選択肢がありませんでした🙄
 
現地採用になるにしても、当時は今ほど日系企業が進出しておらず、情報/求人も限られていました。
 

一番有名だった人材紹介会社のJAC Recruitmentに登録しましたが、若い候補者は珍しかったのか、すぐに数社と面接していただける事になりました。

 

これは本当にありがたかったです。

当時の僕の語学力は、インドネシア語も英語も日常会話が何とか、というレベルでした。本当に怖いものなしだったなと汗顔の至りですが、ネットでの情報も今ほど充実していなかった当時は、まぁやってみるか〜という感じでした。

今であれば逆に、色々調べた結果、ブレーキを踏んでいたかもしれません😅

というか、今だと候補者も多いので採用して貰えないかもしれませんね😐

 

当時、若手の求人があるポジションは、大半が日系企業の営業マンでした。

これは今でも同じですが、営業専任で日本人が赴任している企業と、他の業務を兼務しながら営業も見ているという企業があります。規模や業態によっても毛色が異なります。

いずれにしろ、駐在員の言葉の問題や業務量の兼ね合い、客先への対応などの理由で、現地採用の営業マンを検討する企業は一定数存在します。

 

僕が面接を受けたのも、営業マンの求人でした。

合計4社受けて、2社からオファーを頂きました。専門商社と部品メーカーでした。まずは足場を固めたいと考えていた僕は、部品メーカーに入社しました。

取り組み方次第で、専門商社よりも、幅広い知識が身につくと考えたからです。

 

そして僕は、会社から近いチカランに住むことになりました。

今とは比べるべくもない、夕方5時以降はほとんど日本人に会わない街でした😌

 

それから10年、今は別の会社で働いていますが、今も変わらずチカランにいます。